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横浜と私
杉山先生退官記念文集原稿
1997年 6月22日
      12月 6日               宇野武夫
 平岡中学校を卒業して1、2年後の高校生の頃、杉山先生、石井やよひ先生につれられて鵜野行雄君たちと
共に、横浜方面に就職をした人達を激励に訪問しました。何ヵ所か訪問した後で、杉山先生のご実家が
横浜ということで、その夜泊めていただくことになりました。杉山先生の生まれ育ったお宅での一晩は、
優しい母上様の暖かい歓迎を受け思い出に残るありがたい横浜の夜でした。
これが私にとっての横浜との初めての出会いです。
 その後私は、建築設計事務所に勤務し、建築設計者として勉強をしながら様々な建築の設計をして
参りましたが、時々、明治開港以来の歴史ある横浜の近代建築を見て、横浜にあこがれていました。
横浜には、ヨーロッパ建築に負けない、石造りや、レンガ造りの建築があります。千葉には残念ながら
横浜にあるような、歴史や、文化の香りのする建築は僅かしかありませんでした。私は同じ思いを持ち建築と
まちづくりに関心のある仲間たちと神奈川・横浜に負けない雰囲気のある、誇りのもてる地域を造ろうと
千葉で講演会・展覧会・見学会・研修会・自作を語る会等様々な活動を20年間程しました。

 その後、平成元年に長年お世話になった榎本建築設計事務所を退職し、自分の事務所を開設することに
しました。入所して6年目の昭和46年にご指導をいただいた榎本搏庸所長が突然他界され、後を引き継いで
代表に就任された明智克夫社長(現会長)を中心に、所員一同力を合わせて事務所をもり立てていこうと
いうことで、息子の雅夫君(平成9年4月新所長に就任)が昭和63年に結婚するまでお世話になりました。

 当時を振り返り今でも残念に思うことは、「独立します」ときちんと関係者にご挨拶の出来無かった事です。
様々な計画が進行している途中で、計画の責任者が途中で独立しますとは言えず、発注者サイドへの挨拶は
翌年の年賀状による「事務所開設のお知らせと新年のご挨拶」ということになりました。
第二設計部長として当時担当していた計画は、県情報処理教育センター、千葉市千城台地区コミュニティ
センター、船橋市図書館・公民館複合施設基本設計、山王病院増築及び老人保健施設、昭和学院記念
図書館などです。それぞれの計画は年度末に完了させて一応の区切りをつけ、その後の事は担当の人達に
後を託しました。民間の仕事で私が院長・理事長と打合わせをしていた山王病院関係の計画は私の事務所が
引き継ぎ現在も総合医療センターを建築中です。同じ民間の仕事で榎本設計事務所に後をお願いした、
昭和学院の伊藤一郎校長先生には事務所開設後スタッフも少なく事務所としての力量がなく、
私自身も事務所を立ち上げる事で一杯の時期でお役に立てず大変申し訳ないと今でも思います。
遅くとも30歳代で事務所を開設したいと考えていましたが気が付いてみると、結局42歳になっていました。

 事務所の場所をどこにするか、東京都内にするか、千葉市内にするか、木更津市内か、大変迷いました。
幸い東関東自動車道や、かずさアカデミアパークの計画があり、東京湾横断道路が開通すると、憧れの横浜に
一番近い場所であり、私を育ててくれた袖ヶ浦市内に決めました。

 3年間自宅離れの私のアトリエで事務所をしておりましたが、所員や、お施主さん、家族の煩わしさなどを
考えて事務所を移転しようと袖ヶ浦市内を探しましたが、ほとんど市内には適当な事務所はありませんでした。
又、3年前と同じく木更津、市原、千葉市内の貸事務所、マンション、事務所用地などを探しましたが適当な
物件がないこともあり、袖ヶ浦市内にこだわり長浦の現在の事務所に決めました。
事務所は、建築設計事務所ですから市街地であれば、耐火構造の鉄筋コンクリート造りにしたいと
考えておりましたが、袖ヶ浦市内には木造建築や、簡易な建築が多く希望する建築は見付かりませんでした。
幸い中古の鉄筋コンクリート造りの戸建て住宅(大成パルコン)がありましたので内部を改造し現在事務所として
使用しております。

 事務所探しをして感じたことですが、袖ヶ浦市が魅力ある都市として栄えていくためには、様々なサービス業の
入居できる良質なオフィスビルが必要となります。法律関係の事務所、保健関係の事務所、金融関係の
事務所等、知的なサービス業の入居できる事務所が必要です。現在は、知的な部分を都内の事務所に頼り、
現業部門のみが臨海工業地帯にありますが、これでは、工業都市としての域を出ることができません。
21世紀の東京湾を中心とした緑や、農業、産業に恵まれたバランスのとれた湾岸情報都市として、若い人達が
働き、生活をする魅力ある都市とするためには、様々な視点からの努力が必要であろうと思います。
 現在私の事務所も所員も増えて、事務所が手狭になり、駐車場の問題もでてきております。
私の住んでいる岩井地区は、市街化調整区域で設計事務所の事務所を作る事は難しい現状です。
将来の都市計画の変更をまつしかないと思います。移転先の事務所が社会的なストックとして有り、
都市としての雰囲気のある横浜のような都市が羨ましく思います。アクアラインが開通したら、
車で横浜の中華街に昼飯を食べにいけることを楽しみに現在の事務所で我慢をしています。

 横浜の何よりの魅力は山下公園です。横浜港を山の上から見た景色はほんとうに美しいと思います、
特に夜景は格別です。千葉の港と横浜の港を比較すると、千葉港には、港や、海を眺められる丘(山)が
無いことです。世界の美しい都市には、水辺を上から眺められる場所があります。
思い当たる都市をあげますと、長崎、神戸、函館、サンフランシスコ、マルセイユ、イスタンブールなどきりが
ありません。千葉港も、工場を移転して、運河を掘り、港を整備した土砂で、丘を造り、ベイブリッジをかけて
立体的な、起伏に富んだ魅力のある港湾整備をすると、人々の楽しめる場所になるのではないかと思います。

 千葉を代表する、幕張メッセは平坦で、水辺の空間の魅力にかけています。同じ埋立地でも、後発の
東京ビッグサイト周辺の、レインボーブリッジの見えるお台場公園は人工的な空間的レベル差を設けて人々を
楽しませています。横浜MM21地区は、後地に変化のある山下公園があり、アフターコンベションも
楽しめる場所だと思います。東京湾を挟んで、この3ヵ所のコンベションセンターが相互に魅力を発揮し
都市間の競争する事により更に魅力ある湾岸地域になるものと思われます。

 千葉の時代、房総の幕開け、東京湾時代などといわれておりますが、千葉は、これから大いに、
横浜に学ぶべき事柄が多いように感じております。特にこの袖ヶ浦、木更津、君津、富津の4市は、東京湾を
挟んで、対岸の横浜市に対峙する新しい、魅力のある都市づくりに大いに期待しておりますし、出来れば、
建築家・設計者としての房総の美しい都市づくりに参加をしていきたいと考えております。
 私の夢は、横浜に事務所を出して、一度横浜で、本格的な仕事をしてみたいと思います。

                                          (UCA・都市・建築設計事務所 主宰)

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